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歯列矯正の歴史

歯列矯正の歴史

女性

歯列矯正というと最近できた治療かと思われる方も多いかもしれませんが、歯列矯正の歴史は古く、ギリシャやエトルリアからの出土物から紀元前1000年の歯列矯正の装置が出土されています。

現代の矯正が普及し始めたのは18世紀頃で、フランスのPierre Fauchardは不正咬合の治療法を確立し、Pierre Fauchardが著した外科歯科医という本に現在でも使われている矯正器具と似たようなものが記載されています。

また、同時期に同じくフランスでBourdetも半円形の板と糸を使い歯を固定する矯正器具について著しています。

18世紀後半にはJohn Hunterが、歯と顎に関する歯科矯正の理論を構築し、顎突出を矯正するために一部の歯を抜歯する必要があると提唱し、その方法は現代でも用いられています。

19世紀中ごろには、歯科矯正において多大なる貢献をしたNorman Kingsleyの手により、Oral Deformitiesが刊行されました。

これは、歯科矯正学を統計的に記述した最初のテキストと言われています。

19世紀後半にはアメリカでも矯正学の発展を遂げ、近代歯科矯正学の父とも言われるEdward H.Angelが不正咬合の分類にはいくつかのタイプがあると明確に定義し、その結果天然歯の咬合の概念が広がりました。

Edward H.Angel

歯列矯正

現在に使われているような矯正器具(歯に装置を取り付け、歯に力をかける針金を組み合わせたもの)を最初に考案したのが、近代歯科矯正学の父と言われているEdward H.Angelです。

Edward H.Angelは近代矯正の発展に多大なる貢献をし、現在のアメリカ矯正歯科医会の母体であるNational Orthodontic Societyを設立したのもEdward H.Angelでした。

Edward H.Angelの多大なる功績を讃え、当時彼が使用していたラボをスミソニアン博物館に再現されています。

また、Edward H.Angelは矯正歯科医学校(The Angle School of Orthodontia)を設立し、150名もの優秀な矯正医を輩出することとなります。

Edward H.Angelが矯正歯科の礎を作る前は、フランスなどヨーロッパを中心に発展していました。

アメリカが矯正歯科の発展が著しかったのは、アメリカには多種多様な民族が移り住んだ結果、種族の違う遺伝子が交配されることで大きな顎に小さな歯、あるいは小さな顎に大きな歯などといったそれぞれの人種の遺伝子を受け継いだ子供が生まれたことが要因ではないかと言われています。

1911年の抜歯論争

歯

Edward H.Angelは非抜歯矯正としても有名です。

Edward H.Angelは1000ある症例の内、抜歯が必要な症例は3以下であるとし、矯正医は全ての歯を保存することではじめて成功を収めることができ、咬合面を正常で調和してはじめて最高の治療だと述べています。

この非抜歯矯正理論は、アングル学派と呼ばれ、抜歯を推奨するC.S.Caseとは抜歯論争(1911年の抜歯論争)が起こったほどです。

C.S.Caseは、咬合異常によっては抜歯もやむを得ない場合もあると論戦するものの、当時、Edward H.Angelは矯正医学において帝王的な立場にいたため、C.S.Caseは異端者扱いをされてしまいます。

しかしEdward H.Angel死後、急速に抜歯論が普及されるようになり、日本へ矯正歯科が普及し始めた頃には既に抜歯は当然のものとなっていたため、現在でも抜歯が必要だと判断された場合、抜歯をしてから矯正を行うようになっています。

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